アオ

人生うまくいってるのかいってないのかよくわからない20代女子の独り言

わたしの、幼い息子イマド

 

わたしの、幼い息子イマド

原題:Imad's Childhood
2021年製作/作品時間76分
撮影地: イラク
製作国: スウェーデン

 

<以下ネタバレ含みます>

 

アジアンドキュメンタリーズ5作品目。

2歳の時にISに拉致され、戦闘員となるべく残酷な映像を見させれ、暴力の中で4歳まで育ったイマド。解放されて祖母たちのいる難民キャンプに母とともに帰ってからも、暴力を振るい周りを寄せ付けず、家族にも同年代の子どもたちとも馴染めずにいる。

 

最初の荒れ狂い叫ぶイマドを見ると絶望的な気持ちになるが、児童心理学者であるベリバン先生や家族、友達と過ごす中で徐々に子どもらしい笑顔が戻ってくる様子には驚いた。ベリバン先生を拒絶するシーンから、先生と車で遊ぶシーンに切り替わったが、この間にどのような経過があったのか知りたい。

しかし、回復の兆しが見えてからも、一緒に遊んでいたてんとう虫を突然殺したり、仲良く一緒に植物に水やりをしていた友達を突き落とすなど、人間の心の傷はそう簡単に治癒しない事実を見せつけられる。それにしても、このキャンプの同年代の子どもたちは、イマドにひどいことをされてもほとんどやり返さない。先の突き落とされた子供も、仕返しをするかと思いきや、すぐに立ち上がり植物に水をやり続け、ケンカを続けようとするイマドに少しホースの水をかけて牽制するのみで終わっていた。この子供達の暴力に対する反応は、どういう意味や背景があるのだろうか。子供ながらにしてISに拉致されるということの意味を十二分に理解しているのか、紛争地で生き抜く子供達のレジリエンスなのか、暴力に対する慣れなのか。

 

3歩進んで2歩下がるような回復を見せていたイマドだが、私が彼の回復を確信させられて、二度三度と巻き戻してみてしまったシーンがある。それは、他の地域で拘束されていた子供たちが解放され帰宅し、彼らがされていた行為を他の家族に話すシーンだ。子供たちが、首まで埋められ頭を蹴られた、冷蔵庫の中に閉じ込められた、と淡々と話す様子を聞いて、イマドの眉間に皺がよる。彼の瞳がそこで初めて、痛みと恐怖と悲しみを自然に表出したように思えた。その後、石造の狭い難民キャンプのテントの家で、一人で枕を投げ寝具を乱すイマド。久しぶりに映るイマドの荒れる姿であったが、彼は何を感じていたのだろうか。これまでの暴力が他者に対して向かっていたのに対して、このシーンは彼自身に向けた感情が溢れているように感じた。ISに植え付けられた価値観を手放し過去の自分を否定するときが来たことを悟り、それの痛みに抗う最後の抵抗のようにも見えた。

 

このドキュメンタリーを通じて感じたのが、「日常」の持つ力だ。おそらく先進国の寄付で成り立っているであろうおもちゃの溢れる部屋で治療を受ける時間ももちろん大切だっただろう。しかしそれ以上に、祖母と一緒にパンを捏ねる姿や、鶏にみんなでミルクをあげるシーンに現れる、イマドが五感を使って今を生きている様子が印象的だった。

そして、忘れることができないのが、マニキュアのシーンだ。イマドの母もイマドと共に拉致され、性奴隷としてISに虐待された。離れ離れになり安否もわからない夫の帰りを待ち続ける深い傷を負った女性だ。ある日、ベリバン先生が取り囲む子供たちの指に一本ずつ赤いマニキュアを塗る。塗った瞬間、お嫁さんみたい!と子供達の顔がパーっと明るくなる。その子供達をいつものように見守っていたイマドの母だったが、突然ベリバン先生はイマドの母の手を取る。その瞬間、見たことのない彼女の女としての笑顔が現れる。嬉しさと恥ずかしさが混じる笑顔が一瞬でた後に、すぐに顔を背けて拒否をする母。しかし、先生はその笑顔を見逃さなかった。一本だけ、一本だけ、と赤いマニキュアを塗る。すると、イマドの母は顔を覆って泣き始めるのだ。愛する人と引き裂かれ、ISに洗脳された息子を持つ母としての苦しみ。身の上話や、イマドのことを相談する時も顔を曇らせたまま淡々と話す母が、一本の赤いマニキュアで崩れ落ちる様子は、普段賢ぶってエビデンスだのなんだのに酔っている私をズドンと撃ち抜いた。我々が相手にしているのは方程式でも歴史でもない、生身の人間なんだと。

西洋医学の医師たちが長年かけて洗練してきた様々な技術を、この一本の赤いマニキュアは容易く打ち砕いてしまったのだ。

私にはもう必要ないという拒否するイマドの母に、ベリバン先生は続けていう。「人生は続くのよ」と。