アオ

人生うまくいってるのかいってないのかよくわからない20代女子の独り言

浦元 義照「格差と夢 恐怖、欠乏からの解放、尊厳を持って生きる自由 国連の開発現場で体験したこと」

上智大学特任教授の浦元義照先生の「格差と夢 恐怖、欠乏からの解放、尊厳を持って生きる自由 国連の開発現場で体験したこと」という本を読んだ。国際社会で地位を築き弱者のために貢献してきた筆者の謙虚さに尊敬の念を深く抱いた。この本を読み、全ての人が持つべき人権とはなにか、しっかりと勉強したくなった。

 

以下印象的だった部分の抜粋とコメント

 

p38

「国連職員として何らかの活動に参加してきたかという経歴は意味がないことではないが、やはり一つひとつの活動に相当の実績を残さなければ、真に国際貢献したとは言えないだろう」

 

下っ端としての雑用だけでなく、自らの理念に基づいて創造することが必要ということ。厳しく捉えたら長いものに巻かれて仕事をしている気持ちになっていてはだめ、ということか。

 

p49- ツェヨワ村のプライマリー・ヘルスケア・プロジェクト

・健康健康教育では効果が出ない。雨季の下痢症を減らすために井戸水を消毒しても、井戸水は消毒の匂いがして美味しくないからと池の水をくみに行ってしまう。

→・messengerを変える(村人に信頼されている僧侶に説法の間に伝えてもらう)(それまでは政府のラジオで伝えていたが、村人にとっては政府は信頼度は低かった。ターゲットにとって信頼度の高いコミュニケーションツールを選ぶ)

インパクトを与えるために、危険性を伝えるだけでなく具体的な行動も伝える。

・人の行動が社会を変える。KAP分析(Knowledge Attitude Practice)

・メディア選び

ポスターはよく使われるが、フィールドテストをしないと意図したメッセージが間違って伝わることもある。(ex. 家族計画のポスターで、疲れていても子供が多い家庭の方を好む)

メッセージの対象となる人をよく調べ、その有効性を実際にフィールドで確かめなければ効果的なメッセージは作れない。

 

ここら辺は授業で習ったことととても通じるものがある。自分に対する絶大な信頼を現地の人から得るのは難しいが、すでにコミュニティ内に存在する信頼関係も十分リソースになりうる。伝えたいこと以上に、誰からどのように伝えるのかについても慎重な吟味が必要。

 

p79

・開発事業の受益者は単にサービス利用者にとどまるだけでない。当事者が主体的に自分の課題として認識する姿勢を培う参加型の事業運営を進めていかなければならない。

 

これも授業、フィールドトリップで感じた「ボトムアップ」「community mobilization」の大切さと重なる。第三者としてのサポーターとして介入する場合特に、サービスの受益者のみでなく提供者のモチベートも大切。こちらの視点も、受益者のみでなく提供者まで含めたものに。

 

p106

ユニセフの仕事はノートや鉛筆の供給を超えて、リーダーのマインド・セットを変えていくもの」

物的支援でできることには予算の都合上限界があるし、現地である程度補えることもある。テクニカルサポートに加えて、リーダーのマインド・セットを変えていくというのはとても重要な視点。これは確かインドの教育制度を変える上で出てきた言葉だけど、なかなか一筋縄にはいかないこと。忍耐力、コミュニケーション能力が試される。

 

 

p116 ハーバード大学で学んだこと

「いかに理論的・技術的には正しくても、自分の主張が認められ、受け入れられなければ何にもならない」

「政策や事業案を採用してもらうためには、それらによって影響を受ける人々の立場を理解することから始めなければならない」

現実には政治家、専門家など全ての人を満足させることは不可能に近いが、「背後に存在する目指すべき理念」に従って誰を最も満足させるのが良いかが決まる。

 

相手が自分の意見を受け入れるというのは、深い相互理解と信頼関係があって初めて起こる重たい一歩。福祉の仕事においては、自分には影響しない件についての介入も多い。その時に、自分の決定によって、誰が、どのように影響を受けるのかを理解できているか?

 

p186 多国籍企業と富野分ぱい

ギリシャの歴史家トゥキュディデス「一般的にいうと権利が問題となるのは力が同じものたちの間だけである。好き勝手に振る舞える強者の前では、弱者は苦しみを甘受するしかない」

 

この文章はスティグリッツの「世界の99%を貧困にする経済」からの引用として出てきたのでどのような文章で議論されている言葉かはわからないが、とても印象的だった。権利、人権は全ての人が等しく持つべきものだが、現実はそうではない。ミャンマーで国軍から迫害されている人々も、それを遠巻きに見ている人々も、強大な権力の前には何もできていない。皮肉だが、弱者に寄り添いながらも、自分はチャンスがあるかぎり強者になることを目指すしかないのだろう。強者でありながら弱者に寄り添うということは短期的には自身の利益を損なうことにもなりうる。果たして初心を見失った権力者は世界にどれほどいるのだろうか。

 

p279 私は何を学んだか

「命が尽きるまで、探究できたら幸せだろう。しかし、人間はいかにもがいても偏見と独断から解放されることはないだろう。だからこそ、できるだけ自分を偽ることなく、真実を追求する姿勢を持って探究し続けることが大切だ。そうすることによって何か良い発見があるだろうと漠然と考えている。」

 

ここまで国際社会に尽くしてきた人の、「人間は偏見と独断から逃れることはできない」という言葉は重い。今は若さゆえに自覚できているが、歳をとって力を得た時にもこう思えるか?自分は正しいと学びをやめてしまわないか?70代になっても、探究をやめず毎朝情報を集め、議論を続ける筆者には本当に頭が下がる。

 

「国連の諸機関の大切な役割は、フィールドの状況をよく調べ、常にフィールドとのコンタクトをとりながら、カウンターパートの事情をよく理解したうえで、相手政府のニーズと国民のニーズをマッチさせることだ。」

国連のミッションである「自由、人権、尊厳を持って生きる権利」の実現に向けて

 

国連は、自らの思い通りに国際社会を動かすことが目標なのではない。ミッションの元に、あくまでも弱者と強者の橋渡し役としてのサポートを行う。印象的なのは、弱者にただ100%寄り添うのではなく、カウンターパートの事情にも配慮をするということだ。バランスを崩さないためにも、「自由、人権、尊厳を持って生きる権利」というミッションを常に忘れないことが大切なのだろう。