アオ

人生うまくいってるのかいってないのかよくわからない20代女子の独り言

わたしの、幼い息子イマド

 

わたしの、幼い息子イマド

原題:Imad's Childhood
2021年製作/作品時間76分
撮影地: イラク
製作国: スウェーデン

 

<以下ネタバレ含みます>

 

アジアンドキュメンタリーズ5作品目。

2歳の時にISに拉致され、戦闘員となるべく残酷な映像を見させれ、暴力の中で4歳まで育ったイマド。解放されて祖母たちのいる難民キャンプに母とともに帰ってからも、暴力を振るい周りを寄せ付けず、家族にも同年代の子どもたちとも馴染めずにいる。

 

最初の荒れ狂い叫ぶイマドを見ると絶望的な気持ちになるが、児童心理学者であるベリバン先生や家族、友達と過ごす中で徐々に子どもらしい笑顔が戻ってくる様子には驚いた。ベリバン先生を拒絶するシーンから、先生と車で遊ぶシーンに切り替わったが、この間にどのような経過があったのか知りたい。

しかし、回復の兆しが見えてからも、一緒に遊んでいたてんとう虫を突然殺したり、仲良く一緒に植物に水やりをしていた友達を突き落とすなど、人間の心の傷はそう簡単に治癒しない事実を見せつけられる。それにしても、このキャンプの同年代の子どもたちは、イマドにひどいことをされてもほとんどやり返さない。先の突き落とされた子供も、仕返しをするかと思いきや、すぐに立ち上がり植物に水をやり続け、ケンカを続けようとするイマドに少しホースの水をかけて牽制するのみで終わっていた。この子供達の暴力に対する反応は、どういう意味や背景があるのだろうか。子供ながらにしてISに拉致されるということの意味を十二分に理解しているのか、紛争地で生き抜く子供達のレジリエンスなのか、暴力に対する慣れなのか。

 

3歩進んで2歩下がるような回復を見せていたイマドだが、私が彼の回復を確信させられて、二度三度と巻き戻してみてしまったシーンがある。それは、他の地域で拘束されていた子供たちが解放され帰宅し、彼らがされていた行為を他の家族に話すシーンだ。子供たちが、首まで埋められ頭を蹴られた、冷蔵庫の中に閉じ込められた、と淡々と話す様子を聞いて、イマドの眉間に皺がよる。彼の瞳がそこで初めて、痛みと恐怖と悲しみを自然に表出したように思えた。その後、石造の狭い難民キャンプのテントの家で、一人で枕を投げ寝具を乱すイマド。久しぶりに映るイマドの荒れる姿であったが、彼は何を感じていたのだろうか。これまでの暴力が他者に対して向かっていたのに対して、このシーンは彼自身に向けた感情が溢れているように感じた。ISに植え付けられた価値観を手放し過去の自分を否定するときが来たことを悟り、それの痛みに抗う最後の抵抗のようにも見えた。

 

このドキュメンタリーを通じて感じたのが、「日常」の持つ力だ。おそらく先進国の寄付で成り立っているであろうおもちゃの溢れる部屋で治療を受ける時間ももちろん大切だっただろう。しかしそれ以上に、祖母と一緒にパンを捏ねる姿や、鶏にみんなでミルクをあげるシーンに現れる、イマドが五感を使って今を生きている様子が印象的だった。

そして、忘れることができないのが、マニキュアのシーンだ。イマドの母もイマドと共に拉致され、性奴隷としてISに虐待された。離れ離れになり安否もわからない夫の帰りを待ち続ける深い傷を負った女性だ。ある日、ベリバン先生が取り囲む子供たちの指に一本ずつ赤いマニキュアを塗る。塗った瞬間、お嫁さんみたい!と子供達の顔がパーっと明るくなる。その子供達をいつものように見守っていたイマドの母だったが、突然ベリバン先生はイマドの母の手を取る。その瞬間、見たことのない彼女の女としての笑顔が現れる。嬉しさと恥ずかしさが混じる笑顔が一瞬でた後に、すぐに顔を背けて拒否をする母。しかし、先生はその笑顔を見逃さなかった。一本だけ、一本だけ、と赤いマニキュアを塗る。すると、イマドの母は顔を覆って泣き始めるのだ。愛する人と引き裂かれ、ISに洗脳された息子を持つ母としての苦しみ。身の上話や、イマドのことを相談する時も顔を曇らせたまま淡々と話す母が、一本の赤いマニキュアで崩れ落ちる様子は、普段賢ぶってエビデンスだのなんだのに酔っている私をズドンと撃ち抜いた。我々が相手にしているのは方程式でも歴史でもない、生身の人間なんだと。

西洋医学の医師たちが長年かけて洗練してきた様々な技術を、この一本の赤いマニキュアは容易く打ち砕いてしまったのだ。

私にはもう必要ないという拒否するイマドの母に、ベリバン先生は続けていう。「人生は続くのよ」と。

精神病棟のプロポーズ

愛する夫が母の交通事故死の後に精神疾患を発症したことが原因で、彼との離別を選択した女性が撮る精神病棟内でのドキュメンタリー。

 

<以下ネタバレ含みます>

 

患者を結婚させ、感情的な繋がりや性的欲求を満たすことによって患者が良い方向に変化してくれることを狙った大胆なプロジェクト。

結婚に適する患者を、男性スタッフ、女性スタッフに別れて厳しく選んでいく。病棟では当たり前に行う患者に対する評価だが、こうして見ると医療者と患者との歪な力関係が際立つ。医療者としては当然必要だと思ってしまう一方で、患者側の立場から見ればどれほど残酷なことだろうか。思考をし感情をもつ人間であるのに、死ぬまで自分の人生の決定権を、赤の他人に握られてしまう。我々は、彼らに比べてそれほど優れた人間なのだろうか?

 

患者さんの病状や病名が明言されていない前半では、私はこの人はなんの疾患だろうか?と考えると同時に、病名がないが故に患者さんをより人間として見ていることに気がついた。しかし、やがて状況がわかってくると、分析的に彼らをみてしまう。医療者の立場で、彼らを友人として見ることがいかに難しいか。

 

今日集まって人の中で、気になる人はいたか?という問いに対して、まっすぐな眼差しで、患者じゃなくてもいい?あなた。あなたを愛している。
と言われるシーンや、カップル候補の女性から
子どもを産みたいから結婚がしたい、子どもは生まれたら施設に預ける、とにかく子どもを産みたいと言われるシーンでは、彼らを友人としてみていた視界にサーっと幕がかかり、医師として武装したくなってしまった。
医師は、否定も肯定もせずに受け止め、相手から質問を聞き出したら速やかに面談は終わる。結論を出さないことによる安定化を図る。私も早くできるようにならなければいけない。

 

また、精神科患者と家族との隔絶も短くはあったが鮮烈に描かれていた。結婚候補の女性は、家族からの承認が下りずに(イランでは成人女性でも父親の許可が必要なのか?)、結局このプログラムは頓挫を余儀なくされる。

「そんな奴はこの家にはいない。_彼女はもう死んだことになっている。」

シーンが変わり、花婿候補と細やかな幸せな時間を過ごす彼女が再度映されたとき、家族に存在を消された彼女の姿がとても切なく思えた。しかし、今考えてみると、これは希望なのかもしれない。家族に否定され、存在を消されたとしても、彼女は確かに愛を感じ、育むことができたのだ。結婚は否定されても、二人の育んでいる愛する気持ちは二人のものだ。このプロジェクトは頓挫で終わってしまったが、医師の試みは無駄であっただろうか?

医師がこの一件無謀なプロジェクトを行おうとしたことで、患者間、医療者と患者、医療者間に愛を伴う激しい感情の揺れが起き、それぞれの人生に痛みを伴う生きた証が残ったのではないかなと思う。

 

ドキュメンタリーを通してみて、最も私の感情を重くひきづらせるのは、患者でも医師でもなく、撮影者の女性である。彼女が自身の癒えることのない傷をほじくり返す作業を、共にしているような気分に時折させられた。

愛し愛された人が、今は自分が撮影する大勢の名もなき患者たちの一員としてどこかにいるのだろうという恐怖、そうさせてしまった責任は自分にもあるという罪悪感、そしてそうするしかなかったという悲しみ。一度は愛の輪郭を確信を持って掴んだからこその愛に対する失望がある。しかし、私の考えでは、彼女はまだ愛を信じているんだと思う。そうでなければ、このようなドキュメンタリーは撮影できない。

精神疾患を抱えながらも結婚したいというカップルを冷静に撮影しながら、彼女は何を考えたのだろう。自分の感じていた愛を否定するか、彼らの精神を否定するかしか、彼女には受け入れる術はない。でも彼女はきっとその間で揺れながらも、一度掴んだ愛の輪郭を手探りでまた探しているのではないだろうか。

「途上国の人々との話し方 国際協力メタファシリテーションの手法」 和田信明 中田豊一 (第一部)

これは留学前にレビューが良くて買ったけど、「途上国の人」を特別視しているようなタイトルに引っ掛かりを感じて、ずっと読めていなかった本。

クラスメイトとの交流もほぼなくなった今ふと目に入って、この人が「途上国の人」と特別視している理由はなんだろうと気になって手に取った。

 

分厚い本だけど、会話の実例も多く乗ってるから、面白くて意外とスイスイ読める。内容がてんこ盛りなので、とりあえず第一部のまとめを。

 

要点としては、

途上国支援の場では、どうしても支援者と受益者に上下関係が構造上生じてしまう。その状況で、"why?" "how?"という相手に思考させる質問をしても、相手はこちらが好む答えを持ってきたりと、事実を軸とせずに思い込みや考えが強く反映されるので実情は理解できない。

"when" "what" "who""where""〜したことがありますか?""〜を知っていますか?""〜がありますか?"という単純な質問を通じて、相手に考えさせるのではなく思い出させることで、自ら問題に気づかせて主体的な行動を引き出すことができる。

 

というところだろう。村人との間に曇りガラスのようなものがあり、支援しても実を結んでいる実感がなかった筆者(中田氏)。彼のすごいところは、その違和感を持ち続けたこと、その原因を自らの対象者との関わり方に探したこと、職人技を持つ相手に出会ったら、それを分析、言語化して自らのものにしているところだ。

 

途上国支援で、途上国の人々の「依存心」のようなものに嫌気が差すことは珍しいことではないのだろうが、矛先を自らに向けて、自分の質問の仕方を変えることで主体性を引き出すことに成功するようになったことは、筆者の謙虚さと努力の賜物だと思う。

 

 

 

以下印象的だった部分抜粋とコメント。

 

p44

事実質問を重ねていくうちに、それに答えている側が、いつの間にか、自分から気づきを語り始めることが非常に多い

 

p49

そもそも私たちには、自分の都合のいいように物事を解釈する強い傾向がある。だから、問題の原因を冷静かつ客観的に分析するのは、本人が考えているよりはるかに難しい。

 

p55 経験から学ぶ:参加型開発

<すべての人は豊かな経験と知恵を持っている>:参加型開発の祖とされるブラジルの教育家、パウロフレイレの成人式時教育手法のprinciple

 

人は生きてきた分だけの経験を誰でも持っていて、その豊かさにおいて、貧富や教育レベルは全く関係がない。

…差が出るのは、その経験からいかに学ぶかです。

…技術、知識、自然資源、社会的資源など、開発途上国の伝統的な共同体とそこに住む人々がすでに持っているものに着目し、その潜在力を高めることを開発協力の主眼に添える

 

人が本当に学ぶためには、自己の経験を分析する、つまり「私が経験を通じて知っていると思っていることを、私は本当に知っているのだろうか」

 

パウロフレイレの言葉は大切に覚えておきたい。学歴や収入などで上下関係をつけたがる社会だが、一人ひとりの生きてきた経験とそれに伴う知恵に優劣はなく、どんな人も豊かなものを持っている。

 

p76 村人の話を聞いたことがなかった、村を見たことがなかったことに気づく

私が彼らを「貧しい」と思い込み、その思い込みに従って問いかけをし、そしてその思い込みを満たしてくれる「答え」が彼らから帰ってくることで、自分の思い込みが納得させられていたという構図があったからだ。

 

自己満足の援助になっては、意味がない。本当に他者を救いたいなら。

 

浦元 義照「格差と夢 恐怖、欠乏からの解放、尊厳を持って生きる自由 国連の開発現場で体験したこと」

上智大学特任教授の浦元義照先生の「格差と夢 恐怖、欠乏からの解放、尊厳を持って生きる自由 国連の開発現場で体験したこと」という本を読んだ。国際社会で地位を築き弱者のために貢献してきた筆者の謙虚さに尊敬の念を深く抱いた。この本を読み、全ての人が持つべき人権とはなにか、しっかりと勉強したくなった。

 

以下印象的だった部分の抜粋とコメント

 

p38

「国連職員として何らかの活動に参加してきたかという経歴は意味がないことではないが、やはり一つひとつの活動に相当の実績を残さなければ、真に国際貢献したとは言えないだろう」

 

下っ端としての雑用だけでなく、自らの理念に基づいて創造することが必要ということ。厳しく捉えたら長いものに巻かれて仕事をしている気持ちになっていてはだめ、ということか。

 

p49- ツェヨワ村のプライマリー・ヘルスケア・プロジェクト

・健康健康教育では効果が出ない。雨季の下痢症を減らすために井戸水を消毒しても、井戸水は消毒の匂いがして美味しくないからと池の水をくみに行ってしまう。

→・messengerを変える(村人に信頼されている僧侶に説法の間に伝えてもらう)(それまでは政府のラジオで伝えていたが、村人にとっては政府は信頼度は低かった。ターゲットにとって信頼度の高いコミュニケーションツールを選ぶ)

インパクトを与えるために、危険性を伝えるだけでなく具体的な行動も伝える。

・人の行動が社会を変える。KAP分析(Knowledge Attitude Practice)

・メディア選び

ポスターはよく使われるが、フィールドテストをしないと意図したメッセージが間違って伝わることもある。(ex. 家族計画のポスターで、疲れていても子供が多い家庭の方を好む)

メッセージの対象となる人をよく調べ、その有効性を実際にフィールドで確かめなければ効果的なメッセージは作れない。

 

ここら辺は授業で習ったことととても通じるものがある。自分に対する絶大な信頼を現地の人から得るのは難しいが、すでにコミュニティ内に存在する信頼関係も十分リソースになりうる。伝えたいこと以上に、誰からどのように伝えるのかについても慎重な吟味が必要。

 

p79

・開発事業の受益者は単にサービス利用者にとどまるだけでない。当事者が主体的に自分の課題として認識する姿勢を培う参加型の事業運営を進めていかなければならない。

 

これも授業、フィールドトリップで感じた「ボトムアップ」「community mobilization」の大切さと重なる。第三者としてのサポーターとして介入する場合特に、サービスの受益者のみでなく提供者のモチベートも大切。こちらの視点も、受益者のみでなく提供者まで含めたものに。

 

p106

ユニセフの仕事はノートや鉛筆の供給を超えて、リーダーのマインド・セットを変えていくもの」

物的支援でできることには予算の都合上限界があるし、現地である程度補えることもある。テクニカルサポートに加えて、リーダーのマインド・セットを変えていくというのはとても重要な視点。これは確かインドの教育制度を変える上で出てきた言葉だけど、なかなか一筋縄にはいかないこと。忍耐力、コミュニケーション能力が試される。

 

 

p116 ハーバード大学で学んだこと

「いかに理論的・技術的には正しくても、自分の主張が認められ、受け入れられなければ何にもならない」

「政策や事業案を採用してもらうためには、それらによって影響を受ける人々の立場を理解することから始めなければならない」

現実には政治家、専門家など全ての人を満足させることは不可能に近いが、「背後に存在する目指すべき理念」に従って誰を最も満足させるのが良いかが決まる。

 

相手が自分の意見を受け入れるというのは、深い相互理解と信頼関係があって初めて起こる重たい一歩。福祉の仕事においては、自分には影響しない件についての介入も多い。その時に、自分の決定によって、誰が、どのように影響を受けるのかを理解できているか?

 

p186 多国籍企業と富野分ぱい

ギリシャの歴史家トゥキュディデス「一般的にいうと権利が問題となるのは力が同じものたちの間だけである。好き勝手に振る舞える強者の前では、弱者は苦しみを甘受するしかない」

 

この文章はスティグリッツの「世界の99%を貧困にする経済」からの引用として出てきたのでどのような文章で議論されている言葉かはわからないが、とても印象的だった。権利、人権は全ての人が等しく持つべきものだが、現実はそうではない。ミャンマーで国軍から迫害されている人々も、それを遠巻きに見ている人々も、強大な権力の前には何もできていない。皮肉だが、弱者に寄り添いながらも、自分はチャンスがあるかぎり強者になることを目指すしかないのだろう。強者でありながら弱者に寄り添うということは短期的には自身の利益を損なうことにもなりうる。果たして初心を見失った権力者は世界にどれほどいるのだろうか。

 

p279 私は何を学んだか

「命が尽きるまで、探究できたら幸せだろう。しかし、人間はいかにもがいても偏見と独断から解放されることはないだろう。だからこそ、できるだけ自分を偽ることなく、真実を追求する姿勢を持って探究し続けることが大切だ。そうすることによって何か良い発見があるだろうと漠然と考えている。」

 

ここまで国際社会に尽くしてきた人の、「人間は偏見と独断から逃れることはできない」という言葉は重い。今は若さゆえに自覚できているが、歳をとって力を得た時にもこう思えるか?自分は正しいと学びをやめてしまわないか?70代になっても、探究をやめず毎朝情報を集め、議論を続ける筆者には本当に頭が下がる。

 

「国連の諸機関の大切な役割は、フィールドの状況をよく調べ、常にフィールドとのコンタクトをとりながら、カウンターパートの事情をよく理解したうえで、相手政府のニーズと国民のニーズをマッチさせることだ。」

国連のミッションである「自由、人権、尊厳を持って生きる権利」の実現に向けて

 

国連は、自らの思い通りに国際社会を動かすことが目標なのではない。ミッションの元に、あくまでも弱者と強者の橋渡し役としてのサポートを行う。印象的なのは、弱者にただ100%寄り添うのではなく、カウンターパートの事情にも配慮をするということだ。バランスを崩さないためにも、「自由、人権、尊厳を持って生きる権利」というミッションを常に忘れないことが大切なのだろう。

愛するということ THE ART OF LOVING エーリッヒ・フロム 鈴木晶=訳

もう理由は忘れるような些細なことで彼に喧嘩をふっかけてしまうことが続いて、落ち込んでいた頃に出会った一冊。ちょうど27歳の誕生日を迎えたこともあって、せっかく年をとるんだから、愛を知る人になりたいと思って読み始めた。

 

愛は、自然に発生するものではなくて、技術であるということ。

全ての人に対して、謙虚さに基づく理性をもって向き合うことで、人を愛することができる。

 

愛は、配慮、責任、尊重、知の四つからなるという。

 

配慮とは、生命と成長を積極的に気にかけること。

責任とは、他人の要求に応じられ、応じる用意があるということ。

尊重とは、人間のありのままの姿を見て、その人自身のための成長を願うこと。

自分のためにその人を利用することはできないので、自分自身が自由でなければ人を尊重することはできない。

知とは、自分自身に対する関心を超越して、相手の立場に立ってその人を見ること。つまり、その人のレンズでその人を見ること。

この四つを実践し、愛の行為において、与え、相手の内部へと入っていく行為において、相手と自分との両方を、そして人間を発見する。

 

私は愛は「意志」であると思っていた。愛があるから愛せるのではなくて、愛すると決めたから愛せるのではないかと。

 

この本のタイトルが「THE ART OF LOVE」ではなく、「THE ART OF LOVING」であるところに注目したい。

私は、愛は二者の間の相互作用だと思っていたのだが、この本で語られる愛はいかにも一方的なのである。いくらこの本の言うように人を愛しても、向こうが同じようにこちらを愛してくれなくては、いつまでたっても「一体化」できないのではないか、と思ってしまう。

筆者はそこで、「信じること」ついて語るのだ。

「信じること」とは、最終的には相手が自分を愛してくれることを信じるのだが、それは自分の愛が相手の中に愛を生み出す力を持っていることを信じる、つまり自分に対する自信なのだ。

私はここで、愛することの難しさに気づいた。私が愛せるのは、相手に対する無責任な期待があるからで、決して自分の愛についての自信ではない。

誰かを思って不安になるとき、それは自分の恋愛に対する表面的な自信のなさを嘆くのではなく、自分の相手に対する向き合い方を問いただす時なのかもしれない。

自信を持てと言う一方で、筆者はナルシズムを脱却することが必須であると言う。謙虚さと言う感情の基盤の上に存在する理性を行使して客観的に世界を、他者をみて判断することなしには、愛することはできない。しかし、そのように客観的に自分自身を振り返ったときに、自分の愛について自信がある人は果たして何人いるのだろうか。ナルシズムも捨て、卑屈さも捨てて、ニュートラルな状態で客観的に自分を、相手を見つめる。

愛するための技術をとても理路整然と説明しているが、全てを総合して俯瞰して見てみると、相当な人格者になることが求められているように思う。

 

ローマは1日にして成らず。どんなことも、習ったからといってすぐに実践できるのではない。うまくいかないながらに、試行錯誤しながら愛することを続けよう。

人を愛せるようになるためには、人生はあまりにも短い。

 

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本筋とは少しずれるが、覚えておきたいと思ったのが、「一体化」に関連する現代社会の「平等」の定義だ。本来の一神教の世界での平等とは、「我々は皆神の子であり、皆同じひとりの人間である」という意味で、個性の発達のための一条件であった。

社会主義思想家たちも、啓蒙主義哲学者たちの流れを汲んで、搾取の廃止、つまり利用の仕方が残虐であれ人道的であれ、人間が人間を利用することの廃絶を平等と定義した。

これは現代社会の平等=等しい、同一とは異なるものである。社会制度などを考える上では、「同一」を基準にする必要もあるだろうが、それも全て全ての人間間での搾取をなくすため、という原点を忘れないようにしたい。

 

 

"備えあれば憂なし"はタイでは通用しない!?

"備えあれば憂なし"は結構的を得ている言葉だと思ってきたのだけど、タイではどうやら"日本人備えすぎて憂いてるよ〜"と見えているらしい。

 

例えば、バタバタと家を出た直後に、洗濯物を干したままのことを忘れて最悪だ〜!!となる私に対して、でも雨は降らない可能性もあるし、降ったらまた乾かせばいいジャンとニコニコのタイ人。

また別の時、山にキャンプに行くときにガイドさんに「ヒルがいるから短いズボンできてね」と言われた。普通は長袖長ズボンでヒルに噛まれるのを防ぐのに、なぜ?と思いますよね。

その心は、「噛まれた時にすぐに気がついて取れるように」。

すごく揺れる船に乗った時も、渡されるのは酔い止めではなく、吐くとき用の袋。

 

起こってないことのためにあれこれするよりも起こってから何をするかが大事なタイ人。

私はヒルに噛まれたくもないし、吐きたくもないんだけれども、悪いことが起こってからのリカバリー力というか、落ち込まないで先に進む能力は見習うべき・・・!?

 

文化?宗教?どっちなの??

年明けから教室での授業が始まった!

最初は通うのが億劫だなと思っていたけど、始まったらやっぱり私は対面の方が好き。

 

今日はReproductive Healthの初回だったけど、家族観や性に関する考えって本当に文化や宗教の影響が色濃く出るから面白い。

印象に残っているのは、先生が女性差別のところで、「ムスリムの人は、女性が一人で男性の医師にかかることを許さない人もいる」といった時に、友達が「それは文化、宗教じゃない!」と何度も訴えたこと。

 

例えば、イスラムの女性がヒジャブ(スカーフ)を着なければいけないことは宗教だけど、どんなスタイルのヒジャブを着るか(目だけか、下まで覆うものを着るか、顔は見せるか)などは文化。

その子曰く、「文化は変えられるけど、宗教で決まっていることは変えられない。クルアーンは1500年前からあって、この世をよく生きるために必要なことが全て書かれている」と。

 

モスクとかに行くと、女性禁制!な場所があったりして、私は人様の宗教ながら不平等感を勝手に感じていたけど、彼女曰く宗教で規定されていることで、差別ではないと。

宗教で規定されていることで、張本人たちがそう感じているなら(一部は違うかもしれないけど)外野がとやかく言うことではないんだろうなと思う。大事なのは当事者視点だなと改めて感じた。

 

それにしても、イスラム教はやっぱり男女関係についてメジャーな宗教の中で一番厳しいよね。

親に「男の子に触っちゃダメ、二人っきりになっちゃだめ」と毎日何回も言われて育つんだとか。兄弟ですら、性別が違えば9歳以上は別の部屋で寝なきゃいけない。

学校も、高校までは基本的に男女別学。もし田舎で学校が一つしかない場合は、前3列は男子、後ろ3列は女子とピッタリ分けるみたい。(前後っていうのはやっぱり少し私の価値観を感じる・・・左右でいいじゃん!笑)学校の先生も女の子のクラスの先生は女、男のクラスの先生は男が普通だとか。(だから、学校の先生は女の子にとって人気の職業の一つらしい。絶対に需要があるから。)

そう考えると、タリバンが女性の教育を禁止したことって、今の子供たちだけじゃなくて、何世代にも影響を与えそうでますます悲しくなる。女性の学校教師がいなければ、女の子たちは教育を受けられないってこと、そして悪循環が始まる、、、。

 

イスラム文化圏のように、宗教が社会のシステム作りにがっつり関わっているところは、何がよそものがコメントしていい文化で、何が宗教由来のアンタッチャブルなものなのかを知らないとダメだなと。

そのためには、やっぱりそれぞの宗教のベースの知識は最低限必要だなと感じた日でした。

 

(帰り道に彼氏と同棲していることを話の流れでいうことになり、絶句されたとこまでが今日の思い出。なぜ今日じゃなければ、、、笑)

 

 

追記:それでもやっぱりイスラム教と女性差別の問題は議論されがちだけど、ざっと調べてみたらクルアーンは7世紀としては画期的にも女性保護について明記してあるみたい。

アラブ部族が伝統的に行なっていた嬰児殺し(多くの場合は女児が犠牲に)を禁止したし、男性の半分といえども女性の相続権を認めたのも当時としては画期的だった。(英国では20世紀になるまで女性に相続権がなかったそう)

イスラム教の成り立ち自体、商業都市が発展して格差が生まれる中で、弱者保護としての役割も果たせる一神教ががそれまでの多神教よりも人気を集めたという背景もあるし、元々は弱者や女性に優しい宗教として力を伸ばした。あくまで、「個人の自由」に重きを置く近代の価値観と共同体としての繁栄に重きを置く昔の相違で、どちらかが偉い、優れているというわけではないのでしょう。一刀両断に決められないからこそ、緻密に当事者の話を聞いて何がベストかを考えていかなくてはいけない。(不満に思っている人が少数でもいる以上、思考停止はダメよね。)