「途上国の人々との話し方 国際協力メタファシリテーションの手法」 和田信明 中田豊一 (第一部)
これは留学前にレビューが良くて買ったけど、「途上国の人」を特別視しているようなタイトルに引っ掛かりを感じて、ずっと読めていなかった本。
クラスメイトとの交流もほぼなくなった今ふと目に入って、この人が「途上国の人」と特別視している理由はなんだろうと気になって手に取った。
分厚い本だけど、会話の実例も多く乗ってるから、面白くて意外とスイスイ読める。内容がてんこ盛りなので、とりあえず第一部のまとめを。
要点としては、
途上国支援の場では、どうしても支援者と受益者に上下関係が構造上生じてしまう。その状況で、"why?" "how?"という相手に思考させる質問をしても、相手はこちらが好む答えを持ってきたりと、事実を軸とせずに思い込みや考えが強く反映されるので実情は理解できない。
"when" "what" "who""where""〜したことがありますか?""〜を知っていますか?""〜がありますか?"という単純な質問を通じて、相手に考えさせるのではなく思い出させることで、自ら問題に気づかせて主体的な行動を引き出すことができる。
というところだろう。村人との間に曇りガラスのようなものがあり、支援しても実を結んでいる実感がなかった筆者(中田氏)。彼のすごいところは、その違和感を持ち続けたこと、その原因を自らの対象者との関わり方に探したこと、職人技を持つ相手に出会ったら、それを分析、言語化して自らのものにしているところだ。
途上国支援で、途上国の人々の「依存心」のようなものに嫌気が差すことは珍しいことではないのだろうが、矛先を自らに向けて、自分の質問の仕方を変えることで主体性を引き出すことに成功するようになったことは、筆者の謙虚さと努力の賜物だと思う。
以下印象的だった部分抜粋とコメント。
p44
事実質問を重ねていくうちに、それに答えている側が、いつの間にか、自分から気づきを語り始めることが非常に多い
p49
そもそも私たちには、自分の都合のいいように物事を解釈する強い傾向がある。だから、問題の原因を冷静かつ客観的に分析するのは、本人が考えているよりはるかに難しい。
p55 経験から学ぶ:参加型開発
<すべての人は豊かな経験と知恵を持っている>:参加型開発の祖とされるブラジルの教育家、パウロ・フレイレの成人式時教育手法のprinciple
人は生きてきた分だけの経験を誰でも持っていて、その豊かさにおいて、貧富や教育レベルは全く関係がない。
…差が出るのは、その経験からいかに学ぶかです。
…技術、知識、自然資源、社会的資源など、開発途上国の伝統的な共同体とそこに住む人々がすでに持っているものに着目し、その潜在力を高めることを開発協力の主眼に添える
人が本当に学ぶためには、自己の経験を分析する、つまり「私が経験を通じて知っていると思っていることを、私は本当に知っているのだろうか」
パウロ・フレイレの言葉は大切に覚えておきたい。学歴や収入などで上下関係をつけたがる社会だが、一人ひとりの生きてきた経験とそれに伴う知恵に優劣はなく、どんな人も豊かなものを持っている。
p76 村人の話を聞いたことがなかった、村を見たことがなかったことに気づく
私が彼らを「貧しい」と思い込み、その思い込みに従って問いかけをし、そしてその思い込みを満たしてくれる「答え」が彼らから帰ってくることで、自分の思い込みが納得させられていたという構図があったからだ。
自己満足の援助になっては、意味がない。本当に他者を救いたいなら。